首塚(魚は頭、企業は社長から腐る)

 かの平家物語の一節「祇園精舎の鐘の声、――――おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、に風の前の塵に同じ」。

 生あるものは死し、栄華を極めても長くは続かないということである。

ところで日本は、1800年もの長きにわたり天皇制を摂り現存する世界最古の国家である。そのうえ徳川幕府が250年間にわたって戦のない平和な時代を構築したことは世界史上でも稀有なことなのである。

 さらに日本には世界最古の企業が現存する。578年に聖徳太子に百済から招かれた宮大工の一人(金剛重光)が創業した「金剛(こんごう)組」で、なんとの1440年もの間創業しているのである。 観光立国を目指す日本、古い文化財を守る救世主としてかけがえのない企業である

 帝国データバンク「100年企業」によれば、「百年企業」は営利法人約120万社のうち約2万社(1.6%)、200年は938社、300年以上の企業は435社とされている。 

 ところが、昨今多く耳に飛び込んでくるのが企業の不祥事問題や経営不振による吸収合併、倒産の話である。
 ここ数年でも、三菱自動車(偽装燃費)、東芝(不正会計・粉飾決算)、シャープ、タカタ(不良エアーバック)、旭化成(くい打ちデータ改ざん)、神戸製鋼(強度検査の偽装)などなど、 「ものづくり」を誇ってきた日本企業もここまで地に落ちたのかと耳を疑いたくなる。

 情報化社会では企業の不祥事や経営不振等の問題は一瞬にして全国、全世界に広がり知れ渡る。国や政府といえども無理に抑えようとしても逆効果、火に油を注ぐ形になるのでうかつに手は出せなくなる。 時代の変化とともに大企業といえども簡単につぶれてしまう可能性が出てきたのだ。

 

記憶に残る大企業の倒産例を2~3上げてみよう

●日本の高度経済時代の申し子はなんといってもバブル(1980年代)で好景気に沸いた証券会社であろう。当時四大証券の一角を担った山一證券(社長:横田良男)の倒産である。

 山一は法人の「営業特金」を重視した。競争が激化すると違法なニギリ(利回り保証、当時は各社行っていた)に手を染め始めた。1兆8千億円の営業特金を集め過去最高の営業収益を上げた。 バブルがはじけると一気に含み損に変わり、大口優遇の損失補填が社会問題となり大蔵省は1990年に特金の禁止を通達した。

 大蔵省の通達を無視して含み損を自社で被った山一は、「ニギリ飛ばし」という裏技で更なる窮地に落ちる。海外にペーパーカンパニーを作り、そこに損失を移し、帳簿上は損失を隠した。
ここまでの飛ばしも違法行為だが、損失隠しに至って完全な粉飾決算となった。

 1997年、自転車操業は限界に達し、とうとう損失が表面化した。直前に、社長を引き継いだ野澤正平はマスコミへの会見の最後で、マイクを持って立ち上がり、涙を流しながら「社員は悪くありませんから!」と言った。 その姿は、TVなどで繰り返し流されたことを思い出す皆様もおられよう。

 当時は日本中が金儲けに染まっていた時代である。山一證券が企業コンプライアンスの基本原則の一つで、法律や内規などごく基本的なルールに従って活動していれば少なくとも倒産という悲劇は免れたのではなかろうか。

●ダイエー(流通業界の革命児、中内功氏が築いた“ダイエー帝国”)は、1957年(昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られる。
大型商業施設(ショッピングセンター方式)や総合スーパーを日本で初めて導入した。かつては日本最大手の流通企業であり、日本を牽引する総合スーパー事業者であった。

 ダイエー破綻の基本的な要因は、バブル期に広大な土地を次々と購入、出店による周囲の土地の値上がりを見越して、含み益を狙うビジネスモデルで成長してきた。バブル崩壊とともに3兆円にものぼる空前の負債を抱えるハメになる。

 もちろん「総合スーパーの業態は1990年代半ばあたりから売り上げが落ち込む。ダイエーは不動産取得に執着するあまり、ホテル、遊園地、プロ野球球団まで傘下に収め、小売りやその周辺事業にとどまらない多角化を進めてきた。 結局、不慣れな業界に参入して失敗を重ねたことも破綻の要因になる。

 中内氏の軌道修正不能なワンマン体質はに有名であった。自分の長男を31歳の若さで専務に抜擢したり、周囲をイエスマンで固めたりしたのは完全な失敗。
 中内は非常に自己主張の強い人物で、 反対意見を持つ人たちを遠ざける傾向があった。会社という組織で反対意見が出ないのは危険。イエスマンばかり集まって独裁体制を築いてしまうと「会社が間違った方向に進んでも止められなくなる」 という爆弾を抱くことになる(株式投資)。

 ダイエーを手術するため、中内氏は当時日本楽器製造(現ヤマハ)社長だった河島氏をスカウトした。「V革作戦」ではまず、百貨店事業の撤退に着手した。 「過去の『ワンマン中内』を知る人には信じられないだろうが、計画の立案から実行までのすべてを若手に任せた」という。

 一時的にV革作戦が成功すると中内氏は第一線に復帰し、ダイエーは元の“中内商店”に戻った。河島氏は、中内氏が再建を引き受けたミシン製造会社リッカーの社長に飛ばされた。 政府は巨額負債のダイエーの倒産を恐れ、強圧的に産業再生機構を適用し丸紅の傘下に、その後イオンの連結子会社にくみすることになった。2018年「ダイエー」の屋号は消滅する予定である。

 昭和40年代馬鹿にしていたあの弱小ジャスコ(現イオン)の軍門にダイエーが入ると誰が想像したであろうか。まさに「―――盛者必衰の理をあらはす」である。

 エッセイのタイトルを「魚は頭、企業は社長から腐る」とした。昨今の森友学園土地払い下げ問題で財務省の公文書の書き換えは由々しき問題である。 長期政権を自負する安倍総理は自らがまいた火種をどう処理するのか国民はしかと注視したい。まさか腐った頭にはならないだろう。

庵野 大